2016年10月26日水曜日

第18話 「これまで」と「今」をつなげる (花まる:前原)

  官民一体型学校の一つとして、今年度よりスタートした「武雄市立橘小学校」にて。
 約1ヶ月ぶりにこの学校の、朝の「花まるタイム」を見る。どんな感じだろう…と楽しみに学校へ足を運んだ。

 1年生のクラスにて。
なにやら地域の方がシールを持っている。
地域の方が独自に持ってきてくださったのだろうか、それとも子どもたちからもらったものなのだろうか・・・。

その日に読む箇所を一通り読み終わると、子どもたちがシールを持っている地域の方のところに集まりだす。何が始まるのか?と見ていると、子どもたちが順番に、先ほど読んだ文章の「暗唱」を始めだした。しっかり暗唱をできた子は、音読用の冊子の表紙にシールをもらう。地域の方がもっていたシールは、「がんばって暗唱したね!」と認めるためのシールだったのだ。
 地域の方からシールをもらっている子どもたちの様子を見ると、非常にうれしそう。「見て先生、シール2枚目ゲットしたよ~!」という声には充実感がつまっていると同時に、「次もがんばるぞ~」という前向きな気持ちもあふれていた。

 橘小学校のほかに、同じく官民一体型学校である「武内小学校」「東川登小学校」でも、音読については似たような取り組みを行っている。ただ両校の場合は、「花まるタイム」の時間にやるのではなく、覚えられたと思ったら、校長室に行って、校長先生の前で暗唱をする。これも音読へのモチベーションを高めるやり方の一つだと思う。

 もちろん、「花まるタイム」の音読は「読んでいる文章・言葉を覚える」ために行っているものではない。根底にあるねらいは、「古来ずっと引き継がれてきている美しい文章・言葉に親しむ」ことと、「しっかりとお腹からハキハキと声を出すことで発散をする」ことである。この2つのねらいの達成に対して、モチベーション高く取り組むための材料の一つとして、「音読で扱ったものの暗唱 ⇒ 地域の方や校長先生の前で披露、認めてもらう」というやり方は、繰り返しになるが、非常にいいと思う。



 ただこのブログではこの音読への取り組みにスポットを当てたいわけではない。
 この暗唱については、もしかすると「うちの学校でもやっていますよ」というところがあるかもしれない。
 ※現に私が小さいころも学校でやっていた記憶がある。
 
 花まるタイム自体は、学校にとって新しい取り組みである。新しい取り組みだから、常に新しく・・・ということで目新しいものを取り入れようとすることももちろん大切だと思う。ただそれだけではなく、「これまでにやってきた取り組みと何かつなげることはできないか」と考えることも、取り組みの充実化への一手となるのだ。これまで学校にあった資源と、新しく入ってきた取り組みの融合である。

 例えば武内小では、音読と「論語カルタ」「百人一首カルタ」をコラボさせている。これらのカルタは、「花まるタイム」をやっていた取り組み。音読をさせてからカルタをやる、という取り組みをやり続けることで、以前よりも文章を覚えるスピードが確実に上がったという。実感値だけでなく、アンケートからも「学年で割り振られた箇所を全部覚えられました」という子は、以前よりも確実に増えていたというデータも出ている。

 学校教育の中でこれまでやってきたもの中には、練られて作られているものはたくさんある。それは、先生方が「子どもたちが意欲をもって取り組むためには…」という一心で考えてこられたから形になっているものばかり。それらを生かさない手はない。新たな視点が入ることで、より輝きを放つものはたくさんあるだろう。

ここで誤ってはいけないことは、「花まるタイム」で大事にしている花まるの考え方をぶらさないという姿勢である。
 
 ・場を作る側(大人)が子どもたちを先導する行動をとること
・短期集中、切り替えよく進めること
 ・遅い子に合わせるのではなく、全体の切り替えスピードを引き上げるつもりで進めること
 ・毎日繰り返すからこそ、「できたところまででOK!」
 ・「読み、書き、計算」+思考力という学習の土台を固めるプログラムを組むこと
主なものを並べたが、反復することで力をつけていける基礎基本の力を、子どもたちがマイナスな気持ちにならずに、しかし着実に身につけられるには…と考えて、花まるとして出した一つの形が「花まるタイム」だと思ってほしい。


そして、花まるの人間である私が研修や実践で伝えていることは花まるタイムのベースである。このベースに乗りながら、各学校で「こんなことができるのでは?」とアイデアが出てくることは大歓迎。さらに言えば、この先学校間で「取り組みの様子」から学び合える環境を作り出すことができれば…、と思い、現在模索中である。

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